地名が教える古い檜原村の歴史の足音

 
 1000年以上前の昔、檜原村は関東地方では、進んだ地域でした。
 
《 地図多用のため、画面の切り替えには少し時間がかかります。 》
ご案内役: 桧原村出身 岡部駒橘 
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古い檜原谷の各地の集落を作った人々

檜原谷の各地の集落地の落人民(おちうどみん)や集落を形成した人々
 
 

  神戸岩(巖) (かのといわ)の意味は 「神様の入口」 

檜原の北秋川の支流に、神戸(かのと)集落を流れ下る神戸川(かのとがわ)がある。

神戸川の奥まった上流の両岸に聳(そび)え立っている巨岩が、神戸岩(かのといわ)である。

右岩の高さは98mで、左岩は78mの神秘な高さである。

その下の岩盤を流れ下る川が神戸川である。巨岩の間はすべり易く難所である。

神戸岩、赤井澤神社、大岳山 】
 

より大きな地図で 神戸岩、・・・ を表示
そこを通って大岳峰に出て、大岳(1267m)山頂の下に祀られている座生権現様が存在している。

この神を祀る入口として、巨岩の石が神様の入口として、神戸(かのと)と名付け、両岩の巨岩を「神戸岩(かのといわ)」と呼んだのだろう。

神戸岩の上流は赤井沢(あかいざわ)と呼び、少し上流に赤井澤神社が祀られている。昔のいつの頃か、ここに阿加井大膳という武士が住みついて薬草を栽培していたという話が残されている。今でも、神社のまわりで薬草をみつけることが出来るという。

昭和三十年に右岸の大石の下にトンネルが出来て、北側に通りよくなった。

 
【 神戸岩 】
 
神戸岩
【 赤井澤神社 】
 
【 神戸岩の トンネル と 橋 】
 
 
注: 赤井澤神社は神戸岩から 1.9km上流。 林道の右側10mほど入った所にある。 )

神戸岩の下流は神戸川と呼ぶが、昭和二十年代までは川苔(かわのり)が採れたと言われるが、川苔は水のきれいな所で人々が来ない所に生(は)えているので、きれいな谷川であったと思われる。右の巨岩でも岩茸(いわたけ)が採れたという。

注: 「岩茸」と茸(キノコ)の名前が付いているが、分類上は苔の仲間。)

この神戸岩を通り座生権現を祀り信仰したのは、奈良時代にこの地に住みついた大和軍であり、奈良時代にこの地に住みついた橘族の首領であった人が、信仰する責任をもっていたようである。

この責任者は、室町時代には中里のヤワリの橘族の一族にかわり、お祀りをされるようになった。現在でも、ヤワリの人が神主となり、お祀りをつづけている。
■参考になるサイト               ↑ 岡部駒橘氏は監修者の一人です。
 神戸岩       イワタケ - Wikipedia
 

  川乗(かわのり)の語源は 「川苔(かわのり)」

南谷の「上川乗」と「下川乗」の地名は、古くは「川苔(かわのり)」が使われていた。

しかし、江戸末期から明治にかけて川を利用して材木を流し江戸へ運んだので、川苔は採れなくなり、材木運びから「川乗り」に名前を変えたもののようである。

上川乗 と 下川乗 】
 

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【 かつての筏流し風景 (あきる野市五日市郷土館様 ご提供) 】
 
筏の写真
 
筏の写真

注: 「上川苔会館」、「上川乗交差点」、「下川乗会館」、等混在して使われている。)

■参考になるサイト
 五日市郷土館 (あきる野市)

 
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  機立(おったて) (柏木野地区)は 織物や養蚕が盛んだった

柏木野地区に入ると、南秋川の北岸に切り立った難攻不落の絶壁がある。

ハッタテと呼んでいるが、現在では切り開いて都道が通っている。

その下の秋川にたたずむと、西から流れ下る川音と、曲った所から東側の川の瀬が異なっていて、妙なる川の音がハタオリの音に似て、静かな心境にさせて、静寂な心境にさせてくれる。

【 橋の上から見たハッタテ近くの秋川 】 ハッタテ
ハッタテ近くの都道から橋に通じる道がある。
 
「やまぶき屋」の裏からは、
東側の川の瀬が見える。
この機立(はったて)の名前の由来を調べてみると、当地には奈良時代からハタ氏が住みついて
織物や養蚕をしていたようであり、
南側の出口(でぐち)と呼ぶ所には、蚕の塚や、
ミヤグラと呼ぶ穀物の貯蔵庫の跡が見つかっている。

この地区には、50に及ぶ面が残されていて、
古い布もあったという。

ハッタテ、蚕の塚、
貯蔵庫の跡、50に及ぶ面
「坂本」氏が多い地区、
「はたの」氏、「出口」氏が多い地区 】
 

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注: 出口と呼ぶ所の蚕の塚、 穀物の貯蔵庫の跡、50に及ぶ面、古い布については、未確認。現在調査中。 )


室町時代になって、機立(はったて)の西に坂本氏一族が住みついて、勢いがあった。

ある時、機立(はったて)の南の沢に祀られていた社(やしろ)について、坂本氏は、社の主から三日三晩にわたり「通る馬の蹄の音がうるさいので高い所に祀るように」と告げられたと申し出て、往来から離れた高い所に祀ることになった。


祭神は十一面観音様であり、坂本氏は屈強な若者を使って、社を臼杵山頂に祀ることにした。

その部下は、笹平で山頂に登る口の番をすることにした。その兵士の家は佐々木と呼んだ。社のあった柏木野内では、今でも「宮の沢」と呼んでいる。

機立の東は、「幡野」とか「出口」とかの苗字があり、いつの頃からか秋川の南側から現在の集落に移り住んだようである。

南側はゆったりした丘陵で、泉も湧き出すよい場所である。この地区で作られた織物は、京都などへ行った人々のよい土産であったと思われる。

機立の東側は今でも臼杵神社を祀り、
各戸でお札(おふだ)を配り、大切にしている。
 
臼杵山 と 笹平 】
 

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北谷での大岳神社のお札を大切にすることと同じである。

芸能では、歌舞伎が伝わっているが、いつの頃か、式三番叟は笹野に引き継がれている。

柏木野は、機立の東と西に違った先祖が住みついたが、現在では一つの集落になっている。

 
【 檜原村で唯一現存するかつての貯蔵庫 】
 
現存するミヤグラ
檜原村役場の道を挟んで前にある
ハッタテと柏木野と笹野】
 

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■参考になるサイト
 YouTube-式三番叟
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