浅間尾根は別名富士嶺浅間(仙元)ともいわれる峠が続いている。
浅間峠の西方の高い山を登ると平らな所があり、草も生えないといわれる所がある。その平地の南側には小さな社(やしろ)が祀られている。昭和初期に地元小岩地区の有志が祀ったものである。
この広場は草が生えることが少なく、まわりや社がよく見える所である。
そこに立って北谷の連山を眺めると北側に峰や谷が連なって眼前に迫ってきていてその連山の東の方に湯久保という集落がぽつんポツンと見える。
その集落の一番上の所に御前鑾(ごぜん すず)神社という石造りのお宮がある。
神社は御前山に登る入口であり、狛犬二匹が守っていて、祭日には幅一米、長さ二十米ほどの旗が作られていて、今は郷土資料館に保存されている。
この御前鑾神社を抜けて登山していくと1405米の村で二番目に高い山に着く。そこが御前山である。小さな穴があるので石を投げ捨てるとコロンコロンと音がしばらく続いたという。
この御前山から眺めると、浅間峠が眼下に広がっていて眺めのよい所である。
その西側は藤倉になり惣岳(そうがく)沢に続いている。一説には惣岳沢は昔の貴人の髪が耳を隠している姿ともいわれている。
浅間峠のこの広場から眺めると気持が落ち着いた山々が広がっている。
浅間峠の場所は由緒ある場所のようだ。
その西側は藤倉になり、浅間峠で眺める御前山をみて、想像してみて、歴史の流れを見つめることも一つのロマンとも思える。ここは地元小岩が大切にしている所である。
( 注:
「富士嶺浅間」 は平安時代に葬られた為定王子の山稜であったことから、
檜原の人々にとって大切な場所であり、
・為定王子を葬った所から見ての山は 『御前山』 と名付けられ、
・通称 『ゆくぼ』 は御前山への登り口となり、
・御前鑾(ごぜん すず)神社として石の社が作られた。
その御前鑾(ごぜん すず)神社の祭りの際に祠のそばに大きな旗が立てられた。
というのが、岡部駒橘氏の説である。 )
■参考になるサイト
YouTube-浅間嶺・入沢山・松生山への道程6/8@東京都檜原村
の最後の最後の方に浅間嶺の頂上が出てくる。
1/8から見れば、登山した気分になれるかも・・・。
( 注: 岡部駒橘氏によれば、YouTube に出てくる登山道は、かつては北谷と南谷の往来に使われていた道である。昔は年に一度村の人々が補修して、現在の二倍の幅があり、馬も往来した。 )
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